匿名希望様 千葉県市川市 No.113
匿名希望様 千葉県市川市 No.113
疾病名:気分変調症、反復性うつ病、パニック発作 受給:障害基礎年金2級 事後重症
依頼日:平成30年2月20日 ⇒ 申請日:令和1年10月23日 ⇒ 支給決定日:令和2年4月2日 ⇒ 初回振込日:令和2年5月15日
依頼日:平成30年2月20日 ⇒ 申請日:令和1年10月23日 ⇒ 支給決定日:令和2年4月2日 ⇒ 初回振込日:令和2年5月15日
私は10代から説明の出来ない気分や症状があり、いつか狂人になるかよくない選択をするだろうと思って過ごしてきました。その時代の精神科は今より閉さ的で、最初に行った病院で医者に言われた”何もできないなら家にいろ”的な言葉を今でも覚えています。そんな中で教室にじっと座っていることもままならず、高校中退してしばらくは食事もままならず家に閉じ込っていました。24の時当時、大さわぎされた新興宗教で国際結婚をして、韓国ソウルで生活するようになった後も、出産や子育てや違う文化の中で必死に生きていましたが、第二子を産んだ後から、非現実感や外出しても急に冷や汗と動機と、地面がひっくり返るような感覚などにおそわれ、交ばんで助けを求めた事もありました。このような苦しみは結局、夫にはたぶん解ってもらえず、夫の事業の失敗と住んでいたマンションが借金の肩入れにされ、私は子供達と3人で別の地域に移り、離婚をしました。この頃はソウルの精神科で薬を服用して数年経っていたので、子供達と暮らす為に会社に通い出しました。子供達が思春期に入って問題を起こす様になって、そのダメージは仕事にもえいきょうが出始め、とうとうすべてが恐怖になり朝に起きれなくなりました。あの当時が一番しんどかったです。その後は会社に通う事が出来ずに、元夫からのよう育費などで、いつもギリギリの生活でしたが、いくつかの病院を変えて、私に合う先生に会えて薬をのみながら生きてきました。2018年に私は上の子が成人をしたのと、これ以上ソウルでの生活を続けると、私が自分か子供達に大変な事をしでかしかねないと思って、生活を日本に戻そうと思いました。ネットを見て障害年金の事を知り、2~3社をメール相談しましたが、難しいと取り合ってくれない中、ぐうぜん松川先生のブログを知り、私の地元だったので、すがる思いで連絡した所、話を聞いて下さると言って下さいました。私の場合は、10代の頃の入院記録が残っていたので本当に幸いでしたが、何度も途中で難問がありましたが、松川先生はじっくりといつも腰をすえて、どうしたらいいか考えて下さいました。松川先生に初めて相談して、こうして年金の認定を受けるまでに2年以上経っていましたが、私のように海外生活を経て、日本に帰国してという例は初めてで大変だったと思います。でも最後まで私を見捨てずに接して下さったお蔭で、私自身も長く苦しんでいる十字架を肯定的に受け止める事が出来ました。これからの人生は私が私らしく無理せず生きていければと思っています。本当に長い間労を務めて下さった事を心より感謝いたします。