匿名希望様(母代筆) 千葉県市川市 No.133
匿名希望様(母代筆) 千葉県市川市 No.133
疾病名:統合失調症
受給:障害基礎年金1級 遡及
依頼日:令和2年10月8日 ⇒ 申請日:令和2年12月11日 ⇒支給決定日:令和3 年2月10日 ⇒ 初回振込日:令和3年3月15日
受給:障害基礎年金1級 遡及
依頼日:令和2年10月8日 ⇒ 申請日:令和2年12月11日 ⇒支給決定日:令和3 年2月10日 ⇒ 初回振込日:令和3年3月15日
思えばもう数10年の間、本人は軽度の統合失調症という状態で、色々な仕事をしてお金が貯まると、大きなリュックをかついで、ヨーロッパ、主にアジア諸国を貧乏旅行していました。親は医者に話を聞いてもらったり、市川の「■■■」という家族会で学んだりするしかなく、これが当人の生き方ならばそれもそれ、他を傷つけるようなことはしないしと、いわばのんきにすごしていたのですが、2013年頃から家にこもりはじめて、被害妄想がエスカレート、ついに暴力も出現。家族会や保健所で相談にのっていただき、ついに2018年10月22日■■■に医療保護入院、4ヶ月後■■■の紹介で、■■■病院に2019年2月に転院、今に至っています。これから先のことを考えると、やはり障害者であることを認め、受けられるサポートは申請すべきだとソーシャルワーカーの■■■さんにあとおしされ、ようやく1歩ふみだし市役所福祉課に。先ず年金課で■■■病院に問合せ過去の診療記録を確認されたところ、その時点では年金納付額が満たされていない。■■■を初診とすれば条件に合うとのこと。■■■のソーシャルワーカー■■■さんのところに久しぶりにうかがい、近況報告と過日のお礼など話せました。「それでは条件が満たされる期日は来年4月ですので、その時に申請を・・・」ということでひとまずホッとしました。がその4月にうかがったところ、「主治医から、初診■■■病院という事実を無いことにはできない。しかし■■■以前の長い年月に医療行為を受けずに社会生活をしてきているということを、年金事務所に出向いて正直に説明し■■■初診を認めてもらう必要がある、とうことです。」これは何とも大変そうと、がっくりきたところ、■■■病院ですっかりお世話になっているソーシャルワーカー■■■さんに「プロに頼りなさい、松川さんに依頼しなさい」と強くすすめられたのです!松川事務所は我が家から近く、出身高校が息子と同じ、サッカー・猫(大きいの)等大いに心ひかれて電話させていただきました。10月8日にお会いして、この数10年間の我が家と息子のややこしい歴史を聞いていただきました。そして認められることについては難しいことを指摘されました。それでもチャレンジしていただけることになり、その場で■■■病院に連絡しカルテを依頼。私は再び■■■に書類申請に行くことになりました。(10月12日)。
11月7日に■■■から「受診状況等証明書」が届き、11月18日には■■■に受取りにいきました。数10年前息子に付き添って行ったときには古い古い木造だった病院(食堂など異次元ワールドのようでした)が立派な近代病院となっていました。たとえ年金が下りなくても、こうして息子の“病気”のはじまりからをふりかえってみることができたことに意義があると思いました。書類がそろい、松川さんがそれに基づいて作戦を練り(12月1日?)年金事務所に交渉出陣。それが12月11日。それからはダメモトなのだと、期待しないように待機。そして2月19日に年金機構から決定の通知・証書が届きました。即松川事務所に報告・お礼の電話をしました。勿論!!そして■■■病院の■■■さん、■■■の■■■さんにも。統合失調症の病識を持てない本人は「障害者に仕立てないでくれ」と言います。しかし親の私たちはもう70代後半。障害年金がとれたことで彼の収入確保。これで住居も決められるようになると、ホッとしました。これからの彼の人生にプラスの変化が生まれますように。まだまだでこぼこ道を迷いながら行くのですが、やはり色々な悩みを抱えている甥に、かつて貴重な助言をもらいました。「家だけでは無理。外とつながりを持つように。必ずいい出会いがあるから」日々実感しています。本当にたくさんの方たちのサポートのおかげです。そしてそこからいい思いをいっぱいいただいています。(思えばこれも息子からのプレゼントですね)松川さん、そしてアシスタントのかた、いつもあたたかい対応をしてくださり、そしてこんなに力を尽くしてくださり、本当にありがとうございます。
(■■■病院でも何人ものかたを助けてくださったとうかがっています。どうぞ暮々もおからだご自愛くださいませ。謝々)